この記事では、中国ドラマ「ミーユエ〜王朝を照らす月〜」(羋月傅)を見ていてずっと気になっていた登場人物の年齢についてちょろっとまとめようと思います。
同じ役者さんが最期まで演じるので、いまいち役年齢がわからないんだよね。
特に気になるのはユエと泰王、それから義渠君なんかの年の差かなあと思うのでそのへんについてもストーリーを追いながら見ていこうと思います。
目次
ミーユエの年齢まとめ
第1話「覇星の誕生」〜第4話「自由な日々」(誕生〜14歳まで)
史実によれば羋月こと宣太后の生まれは謎に包まれていてその父親さえもわかっていないらしい。
というわけでドラマの中で定められたユエの生まれ年は、紀元前338年!
同じ年に即位した泰王が商鞅を処刑しているのでその繋がりから生まれ年を定めたみたい。
しかしすでにここで大問題、姝が秦に嫁いだのはユエが生まれてから4年後の前334年となっているので史実からのヒントはすでに得られないことにw
時間軸〜!
なので、史実通りに登場する人たちの中で生没がわかっている人はその通りに描かれるし、ユエのようにわからないものについては辻褄が合うように年月日を決めてるみたいです。あと有名人だけどその時代とはちょっとかぶらない人も名前だけお借りして出てくるし、姝なんか秦に嫁いだときは魏夫人と呼ばれていたのにそれが分離して他のキャラクターになっちゃうし…もうわからん!
もとに戻って、ユエが生まれた時点で泰王との年の差は、18才ってことになります。
ユエの年齢は子役それぞれに細かく決められていて、一番最初に登場する大王に会いに行って子虎と呼ばれている子が4〜5歳を、大王不在中に大きくなって黄歇と出会う子が7〜8歳を、最後に墓守を命じられて自然の中で暮らしている子が12〜13歳を演じています。
それから黄歇は、もっと後の時代の人なので史実とは違うドラマの設定年齢で、7〜8歳設定のユエと出会ったときに子役の設定が10歳なので、まあ3歳差かな。
義渠の翟驪は、ユエより数歳年上の初登場時20代という設定しかわからなかった…情報が少なすぎる。
茵は壬午年の生まれで5月が誕生日、ユエは癸未の生まれで6月が誕生日とかいらない情報は出てくるんだけど生年を教えて!!
というわけで、茵と姝とユエの姉妹たちはどうやら1歳も差がないみたい。茵と姝はざっくり見たところ同年生まれで茵のほうが一応先、でユエはそれより1歳下かなというくらい。
姉だ妹だって結構言ってたのにほぼ変わらないのね。
第5話「再び王宮へ」〜第27話「夜語り」(13歳〜20歳)
楚王の陵墓から王宮に戻ったのが13歳〜14歳。
ここから本格的に大人の役者に交代していきます。
帰ってきてすぐに舞の稽古が始まるんですが、そのときに本番は4ヶ月後と言っているのでユエが少司命の舞を舞った13話まではたったの半年ほどしか経過していないことに。
姝が秦に嫁入りするときには大体、王宮に戻って一年ほど経ったくらいかな。
秦の王宮で暮らし始めたのが15歳。
それから夏になったり冬になったり後宮の皆様の目まぐるしい衣装チェンジを経て、27話前318年に羋八子になり、この時20歳です。
泰王はこの時38歳、そりゃあ隣のおじさんだわ。
第28話「守るべき分」〜第49話「分封」(20歳〜26歳)
姝は嫁いでから一年もしない間に懐妊したので、蕩を産んだのが16歳くらい。
一方でユエは秦王の手がつくまで時間があったので、稷を産んだのは羋八子になって間もなく20歳ごろと思われる…んだけど確証はない。
子役を見ても、蕩が10歳〜12歳のときに稷が6歳〜8歳、なので二人の年の差は4〜5歳くらい。
49話で子役が切り替わるので(蕩は朝青龍だけど)、その時、姝月二人はアラサーってことでよろしいか?
第50話「大王の真意」〜第54話「崩御」(27歳)
姝が蕩の立太子のため嫁取りを計画し始めるので、蕩の年齢が13歳〜14歳くらい。
紀元前311年泰王崩御、この時まだ45歳です。ユエは27歳。
なんだけど、ほぼ終盤の78話あたりで父親を失った時まだ稷が10歳だったとユエが言うのだよ。
ちょっとまって、だとしたら17歳で産んだことになって全部狂ってきちゃうんですけど!?黙ってて!しっ!
第55話「遠い地へ」〜第68話「太后誕生」(27歳〜32歳)
燕に送られて人質生活している期間が5年間あって、
紀元前306年太后になり、年齢は32歳。
20代で登場した義渠君はこの時40代くらいと思ったら良いかな。
第69話「苦渋の外交」〜最終回まで(32歳〜73歳)
太后となって、41年間執政を執る。
前298年、楚を攻撃
前284年、燕・秦・趙・韓・魏は共に斉を討つ
前265年に逝去、73歳なのでこの時代の人にしちゃ長生きねえ。